突然の悲鳴だった。それからもう1ヶ月半が過ぎた。
土砂降りの金曜日、仕事帰りメシに誘われクルマを走らせると、見慣れない警告灯が点いた。すぐに水温計は振り切れ、エンジンが停止した。
時刻は23時。6月だというのに13℃しかない。どうにか再始動してコンビニへ逃げ込んだが、土砂降りの雨が原因特定の邪魔をする。
オイルもクーラントも適正だ。サーモの固着か?ウォーターポンプか?ディーラーに引き上げなければ分からない。親のインプレッサで家まで牽引した時には朝の5時になっていた。
原因はラジエーター上部のアッパータンク破損だった。
ラジエーター本体やエンジンはまだ生きている。しかしオーバーヒートによるダメージは、クルマをどこまで蝕んでいるか分からない。
決断が必要だった。
SG5を降りよう。
そう思った。
修理すればまた走れるかもしれない。致命傷を負ったわけではないかもしれない。
けれど、もう十分がんばったじゃないか。
10年で15万キロ。エンジンは快調だが老体に鞭を打って走っていた。
これ以上、無理をしなくていい。
父親が新古車で購入し通勤車として働いた。昨年私が就職し群馬に住むことになったため、貸してもらえることになり活躍の場を群馬に移した。コンパクトで着座位置は高く視界良好、自慢の足腰のおかげでどんな悪天候でも安心して走り抜けられる最高の教習車だった。
予定では、その大雨の次の日に榛名湖へ行く予定だった。少し前に届いた新しいレンズを試すために。天気予報では朝から快晴、雨が上がりのドライブ日和になるはずだった。
SG5での榛名湖ドライブは叶わなかった。しかし、明るい広角レンズを買っておいて正解だったかもしれない。
このレンズのおかげで車内を記録することができた。
Before
After
移植できるものを取り外し、購入当時の姿に復元する。
イナパネ周りはスッキリ元通り。ナビは父親のクルマに受け継がれる。
後付けしたツィーターと換装したドアスピーカーは私が貰うことになった。
4速ATにも関わらず、当たり前に3速のセレクターがある。ジグザグとリズミカルにDレンジに入れ、機械式のサイドブレーキレバーを下ろせば発進準備は万全。クロスした1速から2速と3速以降のワイドなギアを、アクセル開度で自在に操れる。いくらCVTの先駆者であるスバルの最新無断階変速機搭載車でも真似できない、多段AT独特の走行フィーリングがこのクルマにはあった。
地球4周分を走ったエンジンもオーバーヒート直前まで快調そのものだった。
このエンジンの基礎設計は私の生まれる前にまで遡る。そして物心ついた時から、この型式のエンジンを搭載したクルマに乗り続けている。親が初代レガシィに乗っていた。その次も2代目レガシィだった。そしてフォレスター。すべて同じ型式のエンジンを搭載し、時代とともに信頼性と最高出力を磨き上げてきた。
現在は、ただ1車種を除いて、すべての車種が次世代型高効率エンジン搭載に切り替わっている。
しかし新型エンジンを載せないその車種の、日本国内モデルは特別だ。なぜならば、世界と戦うために、20年以上熟成し続けた超高性能レーシングエンジンの搭載が許されている。
そして私は、次もEJ20搭載車を操ることになる。世界最速最強の水平対向4気筒ターボ車だ。
貯金をしておいて良かった。予定より1年前倒しとなったが、新車購入することができた。
納車は8月。
もう少しだ。